【トピック】UDトークがあってよかったのは誰?

よくUDトークは「聴覚障害がある方たちに便利なアプリですよね」と言われます。その時に「いや、ちょっと違いますよ」と大体誤解を解く話をします。

例えば聴覚障害がある方と話すときに、UDトークがあってよかったのは誰でしょうか?それは「話し手のあなた」ではないでしょうか。UDトークがあったから自分の話を伝えることができたわけで、なければ聞いてもらえないわけです。別に聴覚障害がある方があなたの話をどうしても聞きたいわけではないかもしれませんしね(笑)。

例えばこれが多言語の翻訳アプリだったらどうでしょうか?確かに相手の日本での生活にとっては便利なアプリではありますが、その会話の時はおそらく相手に便利ですよねよりは「外国語が話せない自分のためにあってよかった」と思うでしょう。

例えば数人で集まって自分だけが耳が聞こえて他の人が全員耳が聞こえない場合。そんな時でも「UDトークって聴覚障害があるあなたたちに便利なアプリですよね」って言えるでしょうか?そう言う場を経験すると自分が話に参加したり発言を伝えるために「自分のためにあってよかった」と思うでしょう。

UDトークは日本語の文字表示もできれば翻訳もできるアプリです。聴覚障害がある方に使う時も外国の方に使う時も使うシチュエーションも使い方も同じのになぜ「聴覚障害がある方たちに便利なアプリですよね」って言ってしまうのか。それはUDトークを「障害者の自立支援のアプリ」として勘違いしているからだと考えています。

UDトークは「聴覚障害がある方たちに便利なアプリ」ではありません。確かに「自助のツール」として聴覚障害がある方たちが工夫してUDトークを活用しているのはとてもいいことだとは思いますが、それはまた別の話です。「聴覚障害がある方たちに話を伝えたい人のために便利なアプリ」ですよとと言うことです。

コミュニケーションで「UDトークがあってよかったのは誰?」と言うことを改めて考えてもらえればこのアプリの使い方が理解できるのではないかなと思います。